「うつ病」とは
うつ病とはどういうものか、皆さん当たり前にわかっているつもりでおられると思います。強い悲しみ・涙が出てしまうような状態、と認識されているのではないでしょうか。
しかし、うつ病という病気の歴史的経緯を多少なりとも知っている医師にとっては、うつ病であるかどうかという見極めはそう単純なものではありません。
第二次大戦前にうつ病という診断はほとんど存在しませんでした。現在では精神病性うつ病に分類される妄想や極度の焦燥を呈するメランコリー、また明らかに周期的に病状が出現する病態では躁うつ病という概念でとらえられていました。メランコリーも躁うつ病も基本的には重症で入院を要するほどの病態を指していました。その一方、生活ストレスに関係して、うつ、不安、疲労、身体的異常などで来院される患者さんについては神経衰弱、消耗性抑うつ、神経症、ノイローゼ、自律神経失調症といった診断が与えられていました。
ところが1960年代には抗うつ薬が普及し、比較的軽症で消耗・過労による病状と思われていた人の中にも薬が効果をもたらす群があることが発見され、また躁うつ病と診断されていた人々のうち、躁状態が出現する人と、うつ状態だけを繰り返す人では家族的(遺伝的)背景が異なることが指摘され、単極性で軽症の(入院の必要がない程度という意味)のうつ病という疾患概念が育っていきました。一方、高度成長期にあった日本では当時多かった極端に勤勉、几帳面、真面目な性格の末にうつに至るという典型パターンがある、という土着的考えが支持を得ていましたが、しかし1980年に作られた米国診断基準がグローバル化とともに多様なとらえ方を塗り替えていくに従って、うつ病(大うつ病性障害)は性格論や躁うつ病から分離され、“9つの症状のうち5つ以上があればうつ病”という症状数と期間にもとづいて均一・簡便に診断されるようになりました。結果、「うつ病(大うつ病性障害)」の患者さんは統計上1990年代から20年間で3.5倍にも増えましたが、理由は診断基準の世界的普及のほか、以前より副作用が少なく使いやすい抗うつ薬が市場に出回ることになったたといわれています。
しかし、今でも真に病状にあった治療を行おうとする臨床の現場では“薬の治療を優先させるべき真のうつ病なのか、休養や精神療法が重要なうつ状態なのか”ということが問題でありつづけます。
「うつ」は様々な理由でおこる非特異的な現象
「うつ」イコール「うつ病」ではありません。医学的診断や世の中のうつ病に対する認識の混乱はうつという言葉の曖昧さが一因あるかもしれません。うつという言葉だけでは、ショックな出来事に対する人間として正常な心理反応も、それを超えた日常的には経験しないような強い抑うつ反応も、日常的な悲しみとは異質な明らかに病的な抑うつ状態も全て含まれてしまいます。
「うつ病」はひとつか、複数か
先ほど“異質な”抑うつ状態と言いましたが、医学的にうつ病という概念のとらえ方には2つの立場あります。一つ目は「うつ病」は単一でバリエーションの違いは重症度の差だけである、という見方でこれは先に触れたような“症状リスト何個かのうちいくつ以上”で診断する診断基準によるものです。症状が多ければ重症、ということになります。二つ目は、うつ状態はその原因によって質的な違いがあって、「うつ病」とはその中でも明らかに正常と質が異なる状態である、とする見解です。
正直にいえば世界的には圧倒的に一つ目のとらえ方が主流になっており、そこでは原因はあまり考えずに治療を行う、ということになります。しかしそれは過剰な投薬治療を生み出しているかもしれません。筆者は二つ目のとらえ方、原因とともにうつ状態の種別を見極めて、ときには薬よりも背景にある理由の緩和、ときには積極的な薬物療法、と治療方針を立てるべきだと考えます。旧来のうつ病分類、近年のうつ病概念の歴史を多少なりとも知る医師の多くは後者の立場に立っていると思われます。
原因の推定では,物質(アルコールや薬物)や身体疾患など(外因)、病気として自然発生的に生じるもの(内因)、最後に、経験した出来事に対する反応(心因)を順に考えていきます。また重要ですがしばしば見落とされるのは出来事の受け止め方を左右する個体要因すなわちパーソナリティを考えなくてはなりません。
薬物療法が重要になるうつ病とは
実際の見極めはなかなか難しいのですが、症状の面から真に病的なものと思われるうつ病(内因性)の特徴とされるものがあります。
狭義のうつ病では“悲しみ”よりも “喜びも悲しみも感じられない”という状態の方が診断的に重要です。また、悲しみという主観的体験だけではなく自律神経の症状(睡眠、食欲など)が明らかなことも重要です。次に主観的に自覚されるより客観的に観察されるような思考の停滞も重要な兆候です。 またより多く明確に捉えられる重要な症状として妄想、があります。ここでの妄想は“お金がない”“自分は大病に違いない”“取り返しがつかない罪を犯した”といったテーマの妄想(微小妄想)となります。妄想を伴ううつ病(精神病性うつ病)では元気がないというより、時に興奮といえるほどの落ち着かなさがしばしば見られます。